人間関係に怯え続けた私が、人生の再構築を始めるまで
私の人生が変わり始めたきっかけは、成功ではありませんでした。
長い、長い挫折です。
できることなら、思い出したくないこともたくさんあります。
恥ずかしいこと。
情けないこと。
今になって振り返れば、自分にも原因があったと思うこと。
それでも、あの時間がなければ、私は変わることができなかったと思っています。
人間関係がうまくいかない。
人に嫌われることが怖い。
自分に自信がない。
社会の中で、どう生きていけばいいのか分からない。
私は25歳くらいまで、ずっと人間関係に怯えながら生きていました。
幼稚園で始まった、人に嫌われる恐怖
幼稚園のころ、遠出をした際に、うんこを漏らしてしまったことがあります。
それをきっかけに、いじめられるようになりました。
子どものころの出来事です。
周囲から見れば、時間がたてば忘れてしまうようなことだったのかもしれません。
しかし、私の中には、
「恥ずかしい自分を見られた」
「人に笑われる」
「集団の中にいるのが怖い」
という感覚が残りました。
小学校に入ってからも、人に嫌われないことを最優先にして過ごしていました。
自分の考えを言うより、相手の顔色を見る。
目立って嫌われるくらいなら、黙っていたほうがいい。
何かをして失敗するくらいなら、最初から何もしないほうがいい。
私は、少しずつ目立たないように生きる子どもになっていきました。
目立ちたくないのに、心の底では目立ちたい
ところが、本当の私は、目立つことが嫌いだったわけではありません。
心の底では、目立ちたがりでした。
誰かに認めてもらいたい。
自分を見てもらいたい。
本当は、人の中心にいたい。
けれど、嫌われるのが怖い。
注目されたいのに、注目されると怖い。
黙っていようと思うのに、ときどき自分の強い部分が顔を出してしまう。
そのたびに周囲との関係がうまくいかなくなり、
「あいつは変わったやつだ」
というレッテルを貼られてしまいました。
今になって思えば、目立ちたい自分と、目立つことを恐れる自分が、いつも心の中でぶつかっていたのだと思います。
ぐれてみようとしても、仲間がいなかった
中学生になると、仲間外れにされることもありました。
それなら、いっそのこと不良になってみよう。
強そうに振る舞えば、誰かに認めてもらえるかもしれない。
そんなことを考えた時期もあります。
しかし、ぐれようとしても、一緒に行動する仲間がいません。
格好だけを変えたところで、強くなれるわけでもありませんでした。
結局、ただ浮いてしまい、いじめられるだけでした。
自分から誰かの輪に入ることもできない。
かといって、一人でも平気だと言い切れるほど強くもない。
私はますます、人の目を避けるようになっていきました。
高校では、一人も話す相手がいなくなった
高校生になると、ついに話す相手が一人もいなくなりました。
当時、NIRVANAというロックバンドが出てきました。
私は、その音楽や世界観に強く引かれました。
周囲に合わせず、誰にも媚びない。
自分の痛みや怒りを隠さずに表現する。
いつか自分も、カート・コバーンのように、誰にも媚びずに生きられる人間になりたい。
そんな憧れを持っていました。
しかし、実際の私は、誰にも媚びない強い人間ではありません。
人前に立てば緊張し、体が震える。
人からどう見られているのかが気になり、何も言えなくなる。
音楽の中では自由を求めながら、現実の私は、常に人の目に怯えている情けない少年でした。
外の世界とうまくつながれなくなった私は、だんだん一人の世界に閉じこもっていきました。
社会人になっても、距離感が分からなかった
社会人になれば、自然に人間関係がうまくなると思っていました。
けれど、そんなことはありませんでした。
大人になっても、私は人との距離感が分かりませんでした。
少し仲良くなったと思うと、急に距離を縮めすぎてしまう。
先輩に対しても、平気で相手を見下すような態度を取ってしまう。
本人は親しくなったつもりでも、相手から見れば、礼儀を知らない失礼な人間です。
トラック配送のアルバイトをしていたときには、私の態度に腹を立てた先輩から、
「殺すぞ」
と言われたこともありました。
反対に、私をかわいがってくれる先輩に出会っても、今度は別の問題が起きました。
相手からの誘いや頼みを断れないのです。
嫌われたくない。
断ったら関係が終わるかもしれない。
せっかく自分を受け入れてくれた人を怒らせたくない。
そう思うと、何でも受け入れてしまいます。
しかし、だんだん相手の押しの強さが怖くなり、最後には電話に出ることさえできなくなりました。
近づきすぎて関係を壊す。
断れずに苦しくなり、今度は突然逃げる。
そんなことを繰り返していました。
自分は社会不適合者なのだと思っていた
私は次第に、自分は社会不適合者なのだと思い込むようになりました。
何をしても人間関係を壊してしまう。
働いても長く続かない。
電話が鳴るだけで怖くなる。
一人で仕事ができると思って選んだトラックドライバーの仕事でさえ、携帯電話が鳴ることに怯えていました。
電話の向こうで怒られるのではないか。
また何か失敗したのではないか。
面倒なことを言われるのではないか。
着信音が鳴るだけで、体が固まるような感覚がありました。
やがて私は、何もしなくなりました。
何かをすれば、また失敗する。
人と関われば、また嫌われる。
それなら最初から動かなければいい。
しかし、何もしなければ当然、お金は入ってきません。
お金がなく、お腹が空いていても、パンを買うか、タバコを買うかという究極の選択をしていました。
そして私は、タバコを選びました。
空腹のままタバコを吸い、
「自分は何をやっているのだろう」
と、さらに落ち込みました。
そんな20代を過ごしていました。
皆が青春と呼ぶ時期に、私は地獄にいた
この先、どうやって生活していけばいいのだろう。
普通に働くことさえできない。
人と付き合うこともできない。
自分には何もできない。
苦しくなり、医者に行ったことがあります。
そこで、気管支にじんましんができていると言われました。
私は驚きました。
じんましんは、皮膚にできるものだと思っていたからです。
自分で思っていた以上に、心と体が追い詰められていたのかもしれません。
一般的には、10代後半から20代前半を「青春」と呼ぶのでしょう。
友人と遊び、恋愛をし、夢を語り、将来に向かって進んでいく。
しかし、私にとってその時期は、青春ではありませんでした。
皆が青春と呼ぶ時期に、私は地獄に住んでいました。
どん底で出会った一冊の本
当時の私は、本を読む習慣がありませんでした。
勉強が好きだったわけでもありません。
自分の生き方について、深く考えたこともなかったと思います。
そんな私を、一冊の本が導いてくれました。
『金時力』という本でした。
どん底にいた私には、その本に書かれていた世界が、まぶしいほど輝いて見えました。
どんな本だったのか、気になりますか。
簡単に言えば、ビジネスオーナーになれば、自分だけが働き続けるのではなく、お金や仕組みが自分のために働いてくれる、という内容でした。
最高でしょう。
当時の私は、完全にそんなメンタリティでした。
人間として成長したいとか、社会の役に立ちたいとか、そんな立派な動機ではありません。
働かなくても、お金が入ってくるようになりたい。
この苦しい生活から抜け出したい。
誰にも怒られず、自分の力で生きられるようになりたい。
その希望だけでした。
希望は、きれいなものでなくてもいい
今振り返れば、当時の考え方はとても未熟でした。
ビジネスオーナーになれば、簡単に自由になれると思っていました。
お金の問題が解決すれば、人生の苦しみもすべて消えるような気がしていました。
現実は、それほど単純ではありません。
事業を始めれば、責任が生まれます。
人を雇えば、その人の生活を背負うことになります。
お客様からお金をいただく以上、期待に応える義務も生まれます。
自由になるどころか、経営者だからこそ逃げられないこともたくさんあります。
けれど、当時の私にとっては、それでよかったのです。
最初から正しい希望でなくてもいい。
立派な志でなくてもいい。
今いる場所から、少しでも抜け出せるかもしれない。
そう思える何かが必要でした。
どん底にいるとき、人は希望を見ることで、ようやく立ち上がることができます。
私にとって、その一冊の本が最初の希望でした。
本を通じて、初めて人間としてのあり方を学んだ
その本をきっかけに、私は本を読むようになりました。
お金のこと。
仕事のこと。
商売のこと。
人との接し方。
考え方。
生き方。
それまで誰にも教えてもらえなかったことを、本を通じて学び始めました。
そして、人間関係がうまくいかなかった原因のすべてが、周囲にあったわけではないことにも気づきました。
相手との距離感を考えること。
親しくなっても、礼儀を失わないこと。
自分の気持ちだけでなく、相手の立場を考えること。
嫌なことは、突然逃げる前に言葉で伝えること。
自分を大きく見せるのではなく、できないことを認めること。
今では当たり前に聞こえることかもしれません。
けれど、当時の私にとっては、初めて知ることばかりでした。
私は思いました。
もっと早く教えてくれよ。
今になって考えれば、なんとも人任せで情けない言葉です。
誰かが教えてくれるのを待っていたわけでもないのに、教えてもらえなかったことを周囲のせいにしていました。
それでも、本音ではそう思いました。
学校では、計算や漢字は教えてくれます。
しかし、人との適切な距離の取り方や、断り方、自分の感情との付き合い方までは、なかなか教えてもらえません。
知らないことは、できません。
できないことで何度も失敗し、自分はおかしい人間なのだと思い込んでいました。
けれど、本を読むことで、
「自分は生まれつき駄目な人間なのではなく、知らなかっただけかもしれない」
と思えるようになりました。
この気づきが、私にとって人生の再構築の始まりでした。
どん底にいるときこそ、学ぶことが力になる
苦しいときに勉強する余裕などない。
そう思う人もいるかもしれません。
私も、まとまったお金があったわけではありません。
心に余裕もありませんでした。
本を読んだからといって、翌日から人生が劇的に変わったわけでもありません。
それでも、一冊の本から得た新しい考え方が、少しずつ私の行動を変えていきました。
昨日まで知らなかったことを一つ知る。
今までと違う見方を一つ覚える。
自分の失敗を、別の角度から考えてみる。
その小さな積み重ねが、やがて人生の方向を変えていきます。
どん底にいるときには、こういう勉強が必要なのだと思います。
資格を取るためだけの勉強ではありません。
誰かに勝つための勉強でもありません。
自分の人生を諦めないための勉強です。
挫折がなければ、私は変われなかった
今の私は、介護タクシー事業を経営し、仲間とともに仕事をしています。
多くの人と関わりながら、事業を続けています。
けれど、もともと人付き合いが得意だったわけではありません。
自信にあふれた若者だったわけでもありません。
人間関係に怯え、電話に出ることさえ怖かった人間です。
だから、今でも人との関係で間違えることがあります。
距離感を誤ることもあります。
自分の考えをうまく説明できず、相手を困らせることもあります。
人生を再構築したからといって、過去の自分が完全に消えるわけではありません。
それでも、以前とは違います。
失敗の理由を考えることができるようになりました。
自分の問題を認め、修正しようと思えるようになりました。
誰かに嫌われたからといって、人生のすべてが終わったようには思わなくなりました。
そして、自分は変わることができると知りました。
幼稚園から25歳ごろまで続いた長い挫折。
当時は、ただ苦しいだけの時間でした。
けれど、今の自分から振り返ると、あの時間が私を変える出発点になりました。
あの挫折がなければ、私は本を開かなかったかもしれません。
学ぼうとも思わなかったでしょう。
人としてのあり方を考えることもなかったかもしれません。
だから私は、過去を良かったとは言えませんが、無駄だったとも思いません。
しかし、その先には別の地獄が待っていた
一冊の本との出会いによって、私は初めて希望を持つことができました。
本を読むようになり、学ぶことの大切さを知り、自分の人生を変えられるかもしれないと思い始めました。
どん底にいた私にとって、それは間違いなく救いでした。
しかし、当時の私はまだ、学ぶことと、誰かに人生を委ねることの違いを分かっていませんでした。
もっと知りたい。
もっと変わりたい。
早く成功したい。
この苦しい生活から、一刻も早く抜け出したい。
その気持ちは、次第に焦りへと変わっていきました。
一冊の本から始まった学びは、やがて教材、セミナー、講座へと広がっていきます。
そして気がつけば、軽自動車が一台買えるほどの高額な教材やセミナーにまで、のめり込んでいました。
人生を変えるために学び始めたはずなのに、私はまた別の地獄へ足を踏み入れようとしていたのです。
希望をつかんだと思った、そのすぐ先に待っていたものとは何だったのか。
なぜ私は、高額な教材やセミナーにのめり込んでしまったのか。
そして、そこからどのように抜け出したのか。
人生の再構築は、一直線には進みません。
一度立ち上がったあとに、また転ぶこともあります。
私の場合、本との出会いは人生を変えるきっかけになりました。
しかし同時に、新しい失敗の始まりでもありました。
その話は、次の記事で書きたいと思います。
――続く。

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